とあるWEBニュースの記事を見て僕は
とあるSNSでこんなつぶやきをしました。
○○結婚!て芸能ニュースでさ、わざわざ「妊娠してない」てなんで書くの? 妊娠してたらそう書いて、してなければ何も書かなければいいじゃない。まるで妊娠するのが常みたいな印象与える表現…。実際それが多くたってそこ書かないのが大事だと思うんですがね。メディアのこういうとこに腹が立つ。ぷんぷん!
そうしたら友達がこのつぶやきに対してコメントをくれて
それに対する返事のコメントで、マスコミ悪をやり玉に挙げて熱く語ってしまったのですが
それからまた別の友達が別のSNSで違う角度からコメントをくれて
じっくりあれこれと考えていたらどうも大事なことが抜けていると分かりました。
つまるところ
僕の結婚というものに対する「個人的な」考え方が、なるべくデキ婚を避けたがるからなんだなぁ…と思いました。
まっさらな白紙の赤ちゃんを授かるということは、本人たち同士だけの問題では済まないとても大きな責任があることだと僕は思っています。
子どもができる前に「子どもができたら、人を育てるということをきちんと責任持ってまっとうする」というようなある種の決意というか自分や相手に対する約束的な「保証」がないと、まっさらな白紙の赤ちゃんを授かり育てるなんてとても無責任なような気がしてならない…。
結婚というものはそういう重責を担うということを前提にするものだと思う…。
というのが僕の「個人的」な思いです。とても「個人的」な。
もちろん全てのデキ婚が軽率の産物だとは思いません。
夫婦が本当に真剣に愛し合ってそういう責任も果たせるようなデキ婚だってあると思います(単純に推し量れるようなものではないと思いますが)
もし結果的に軽率なデキ婚をしたとしても、そういうスタートラインからより幸せにしてあげられるように頑張っていけばいい話だとも思います。
でもね
メディアが何の気なしに「妊娠してない」なんてわざわざ書けば、もしかしたら「デキ婚するのが普通なんだ」って思う人がどこかにいるかもしれないんです。
たった一言では「結婚する2人がどこまで人を育てるということの責任の大きさを考えているか」なんてわかりません。
あった事実を伝えるのであれば「デキ婚」だと書くことはまだ分かります。
それを見て「そっか。どういう関係を築けてるかはわからないけど、頑張って幸せになって子どもも幸せにしてあげてね♪」と僕は思います。
けれど
「デキ婚じゃない」なんてわざわざ伝えることじゃないと思うんです。
そう書かれてることで「子どもができて仕方なくじゃないんだね」と前向きに捉える人もいるかも知れないし、「え、なに、デキ婚が普通なんだ」と捉える人もいるかも知れない。
そんな2択が考えられるなら「より良い」ことよりも「リスクを避ける」ことを優先するほうが大事だと僕は思うんです(><)
「デキ婚じゃない」というたった一言が与えるかもしれない、「軽率なデキ婚を促すかもしれない」というリスクを回避することを。
そんなキリがないかも知れないリスク回避に力を注がなきゃならないのがメディアという仕事だと僕は思うんです。
より多くの人の目に触れるメディアという仕事をしているなら
そのたった一言がどんな受け取られ方をし
それがどんなうねりとなって世論を作り出すのかも知れず
またそれをどんな形で手本や常識として受け取られるのかも知れず
得体も知れないどんな悪い方向に行ってしまうかも知れない…
と重く深く考えていく責務があると思います。
本人のことを直接知りもしない人たちがこぞって叩いて、さも世の中みんながそう思っているかのようなうねりとなった亀田兄弟の一件などは、そういう犠牲の一端なのではなかろうかと、どうも僕には思えてなりません。
メディアという仕事は、読者の興味を惹き売り上げを追求していくことが大きな目標だと思いますが
同時に「一言一句慎重に言葉を選び、そういったリスク回避に尽力することを大前提に仕事に向かう」という姿勢がなにより大切だと僕は思うわけです。
今回目にした記事はそう直接的に、誰かをおとしめたり世論を悪いほうへ促すような内容ではありませんでしたが、こういうちょっとした表現に、どうもその記事を書いたライターの「言葉を扱う」ということに対する向き合い方が垣間見えてくるような気がしてならない…ぷんぷん!と、言葉を扱う仕事をする者の一人として思ったわけです。
思えば僕も、軽率に言葉をWEBに乗せて何度も失敗をしました(==;;;)
今でもしているかもしれません…。
こうして今書いた文章も、どこかに「勘違いをさせてしまう」ようなほころびがあるかも知れないと不安に思いながら書いています。
以前は、人と意見をぶつけ合うことが怖くて仕方ありませんでした。
僕は基本的に小心者で度胸もそう無く、激しい言葉をぶつけられるとビクビクして何も言えなくなってしまいますし
意見を否定されると自分の全てを否定されたような気持ちになって頭に血がのぼり口論になってしまったことや
結果近頃WEB上でよく耳にする「炎上」的な惨事になってしまったこともありました
その後深く落ち込んで、今度は否定されることで自分が傷ついたり、自分の未熟な言葉でただ誰かを傷つけて終わってしまうようなことを恐れて「そういう考え方もあるね」という一言で終わらせて逃げるようにもなったりしていました…
でもだからと言って口を噤んでしまえば
耳と目も閉じ自分を成長させることなく殻に閉じこもって
ただ世の中に浮かぶしかありません。
世の中に不満があるのなら、より誰かを守ったり幸せにしていきたいのなら、自分を変えていく努力をするしかないんです。
たとえ失敗を重ねてしまうかもしれないとしても。
今、メディアに軽率な傾向があることは否めません。
でも今がそうだからと言って「しかたない」で済ませていたら何も変わらない。
耳と目を閉じ口を噤んでしまうことになる。
いきなりそれを変えていけるだけの力はすぐには得られない
たった一人がする小さな発信でしかない
また失敗するかも知れない
今はまだ何時間もかけてやっとこれだけの言葉を紡げるだけで、とても直接の会話で自分の思いを伝えきれるだけの度胸も技量も無いけれど
それでも一歩ずつ自分を成長させながらどこかの誰かに影響を与え続けていくことが大切だと思うんです。
大人として明日の社会を担っていくということは、こういうことにきちんと向き合っていくことだと思うんです。
だって
昔あった差別や偏見が少しずつなくなってきたのだって
こういう小さな一人一人の塵の積み重ねが世の中を変えてきたんだと、僕は思うから。
全て「個人的な」思いでしかありませんけどね(^^)
長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
僕のつぶやきに対して穿ったコメントをくれた二人にも本当に感謝です(≧≦)
自分の思いを整理することが出来ました。
本当にありがとうございます♪
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